味つけのり、青空について そして、ありがとうございました。
2021年01月15日
皆様、寒い日が続いておりますが、お元気でよいお年をお過ごしのことと存じます。
今回は、海苔の中の味付け海苔の商品についてお話をさせていただきます。
味付け海苔は、関西から、九州において、焼き海苔よりも味付け海苔を好まれるようです。
いまは、転勤等で、育ったところの味を気に入られることもあり、日本全国にて焼き海苔が
お好きな方、味付け海苔がお好きな方もいろいろのようです。
井口食品の味付け海苔の たれ(味付け海苔調味液)の誕生秘話をお話しします。
1934年(昭和9年)福岡県朝倉市甘木にて、初代社長、井口芳夫が海産物問屋「大和屋商店を個人創業}
乾物、塩干魚当類の卸販売を行う。
1953年(昭和28年) 福岡市博多区古門戸町10番25号に移転、販売を広域に拡大する。
1957年(昭和32年) 食生活の多様化、加工食品の重要増加に対応。
弊社、井口始が大阪の近澤鉄工所社長から味付け職人を紹介していただき、当時の
一般的味付け海苔用調味液作成のノウハウを学ぶ。同時期、近澤鉄工所から海苔焼釜を購入し、
本格的に海苔の加工製造を開始する。
この当時、井口始とその妻、井口美津枝は共に26歳
若き二人はさらなる高みをめざし、唯一無二、至高の味付け海苔調味液を目指して歩きだす。
1960年(昭和35年) 井口独自の味付け調味液の完成。この味タレこそが現在まで続く井口味タレの元
となるものです。
完成した味付け海苔調味液レシピは、井口の飛伝とされ、その調合を知るものは、ほんの
ひとにぎりの幹部のみでした。
※ この時代は味付け海苔を包丁でカットし瓶詰めにして販売しておりました。
1964年(昭和59年) 二代目社長 井口始 就任
1986年(昭和61年) 社名を名島屋に変更、同年、現在の井口食品(株)を新たに設立
※ 井口食品株式会社 → 名島屋 現在の井口食品(株)はここから始まります。
井口美津枝氏より、味付け海苔の調味液作成を本社、従業員に移行
1992年(平成4年) 井口食品株式会社、佐賀工場を設立、(海苔部門を本社より移転)
これにより「味付け海苔調味液を福岡(本社工場)から佐賀工場に移し製造される
ようになります。
※ 当初、味炊きは80リットルの鉄釜で行われてました。
2000年(平成12年) 三代目社長 井口俊之 就任
井口始 会長就任
2010年 弊社の味付け調味液の美味しさ(甘味)をグレードアップさせるために、井口始会長の
提案で「相川の水あめ(餅水あめ)」を追加
2012年(平成24年)頃 井口食品(株)佐賀工場、産、官、学連携で一番摘み海苔から主成分タンパク質を
分離、研究を行う。
上記研究の空き時間に他社の味付け海苔を弊社(井口)の味付け海苔の味比較を行って
おりました。
同時にアンケートも実施。各社名前を伏せて行った結果、「弊社の海苔、味たれ味」
ダントツに好まれる結果になりました。
いのくちの味付け海苔(青空)は、ロングセラー商品で、現会長が青空の下でおいしい味付け海苔を
巻いたおむすびを食べる幸せ感を商品名にした商品で、その味付け海苔のたれは、故 井口美津枝が
長年鉄釜でタレを作っていた時代に商品化したロングセラー商品です。
ご報告
長年、味付け海苔のたれを作り、その後は、60代後半からは、始まったばかりの井口食品の通販部の
発送の仕事を手伝いに毎日のように来てくれまして、その当時はスタッフは、私と井口美津枝のみです。
それから、徐々に発送量が増えて、人数が増えても、発送の後の掃除から、宅配会社のドライバーさん
への、お菓子の差し入れと、働きものの姿は健在で、本当にたくさんの出荷のラベル張り、出汁の商品
の段ボール詰めをしてくれました。85歳ごろ、手首を骨折するまでは、来てくれてました。
昨年の12月2日に亡くなり、このホームページの笑った顔を消すことは、なかなかできないでおります
が、ここに、長年のあたたかい気持ちのこもった通販部への3時のお茶の差し入れや、立ち仕事に心から
感謝をいたします。ありがとうございました。今後も、井口美津枝の会社への貢献に報いるように、
頑張ってまいります!
今度とも名島屋を、よろしくお願いします。
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2019年6月 井口食品本社事務所玄関にて、家の紫陽花を活けてくれました。
井口食品株式会社 通販部 リーダー 井口知子
スタッフ 一同