みなさんお元気でしょうか。やっと博多もそろそろ夜はコートを着てもいいかなと
という気温になりました。ときどき福島のお客様とお話することがありますが、
本当にこの寒さが、ますますお不便なお暮らしになられているかと思うと、言葉に
つまることがあります。それにしても、東北のお客様は、お電話のさいに、よく、
おっしゃるお言葉に「ご面倒かけます」といわれるのです。ご注文いただいている
私どもは、はっとすることがあります。なんと美しい言葉でしょうか。長い冬の間、
食物をいただくことが、本当に大変なことだと芯から思っておられる地域なのだと
感じますし、おっとりとした言葉つかいの中に、わたしは、東北のお客様が、ますます
好きになることがあります。。。
さて、福岡でながいこと教えておられる「桧山タミ先生」の56年に福岡市の消費
流通課が編集した本の一部をご紹介します。
「稲わら」
街の中に住んでいると、稲わらはお正月のしめ縄でしか見ることがありません。
それに農業のあり方も変わったのでしょう刈田に干されているわら塚も見なくなり
ました。
そして、大切なお米を実らせた稲わらが、生活の中でどんなに重要な役目をして
いたかを忘れています。それがこの頃やっとその有難さに気が付ました。
まだ火鉢を使っている我が家では、冬のはじめに火鉢をとり出します。その灰は
わら灰が最高で、新わらを燃やして作った灰は黒い色をして空気の流通がよいの
でしょうか炭火のもちが違うし、火鉢の中で真赤におきた炭火の色とのコントラスト
の美しさに身がひきしまるような感動を覚えます。
炭火で焼いたパン「トースト」は香ばしくおいしいこと、トースターで焼きたのとは
ひと味もふた味も違うのをご存知ですか。
その上、火鉢があると灰が手軽につかえ、日本料理では、なくてはならないもの
になります。花咲爺さんの話の花ではありませんが、野菜の色がそれはそれは
美しく茹で上がるし、ワラビやヨモギのアク、栗の渋皮の渋さえとりのぞく不思議な
力を持っています。
火鉢が家の中から消えると共に、祖先から受けついできた日本のよさも消えて
しまったのではないかと思うのは、年のせいでしょうか。しかし火鉢の中にある
たくさんの生活の智恵は学校で学ぶものと同じ位大切なものがあります。
灰に埋めておいたほんの少しの火種さえあれば、木炭をつぎたすことで火は
あかあかと燃えはじめ、火の力、火のこわさに気付くと共に火の大切さを知ることが
できます。
灰をかぶせることで弱火にも火を眠らすことさえできるのを火鉢を通して知らず
知らずのうちに覚えます。親子の断絶なんてありえない。炭火のようにほっこりと
暖かい家庭です。
お餅を焼いても、のりを焼いても忘れられていたあの香りが戻ってきます。
昭和56年といえば、30年以上前になりますね。私はだめな生徒で
月1回ほどしかお料理を習っておりませんが、先生の教室には、この火鉢が
あります。先生がこの火鉢のそばで、火をあつかっておられお姿が、大好きです。
私は、せっかちもので、お餅を焼くのは、苦手です。。お餅を焼くのがお上手な方は
きっと、いつも気持ちがゆったりと大事に、きっちりと何事もできるのではと感じます。
まだまだです。。。。焼いていない海苔を火鉢でやくのは、大変難しいですよ。
お餅どころではないのです。
寒くなりました。どうぞお体大切にお過ごしくださいね。
名島屋 井口知子