皆様お元気にお過ごしのことと存じます。
急に寒くなり、いきなりコートが必要になりましたね。
さて、当社の役員で、長年 井口食品にて貢献してきました 井口美津枝の 一周忌を昨日
井口食品の創業の地、福岡県朝倉市の教法寺にて、昨日いたしてきました。
昨年の12月2日の朝、ちょうど今頃の時間でございました。。。
その夜は、大変美しい満月でしたが、夜遅くに、運転して、母のそばから帰るときに見た満月は、
かすんで、車をとめてしまいました。。
一年たって、生前に、言われたことが、なにかをする度に思い出され、苦笑することもあります。
足癖の悪いわたくしに、お行儀が悪いと、いつも言っておりました(笑い) あし!と言ってたしなめるのです。
なにせ、小学校の通信簿に、足癖が悪いと記載されてましたから。男兄弟の6つも7つも違う兄の中で育って
いるので、足を使わないと喧嘩には勝ちませんよね。
今日は命日なので、精一杯、自慢話をさせていただきます。
会社の仕事は、もちろん働きものでしたが、当社、本社の前は、福岡市東区の名島のバス停の前で、
その会社工場の隣は、会社が当時整骨院さんにお貸ししておりましたが、そのバス停の前のベンチのあたりを
毎日、掃くのが日課でした。たくさんの足腰を悪くした方が、バスを待っておられますが、その方たちと話を
しながら毎日の日課です。
今でこそ、道路と歩道の間の樹木のかわりに草花を植えてあるところがございますが、その草花を植え始めたのは
東区では、母が最初です。ほんの小さな隙間に、季節の草花を植えておりました。わたくしが役所に確認をして
いいとも、悪いとも、責任問題のみ言われたので、「わかりました!」と植え始めた次第です(笑い)
それから、どんどん広がり、今では、福岡市内では、よくみかける美しさになりました。
蕎麦の花をたくさん咲かせたこともあります。大きなクワで耕すのですよ。
カラスが電線にとまっているのですが、そのカラスを追い払い、いじわるされて、頭にふんをかけられ
私は大笑いしたものです。
なにせ、楽しい、朗らかな、素朴な人柄で、昨年の葬儀は、社葬のようなものでしたが、多くの近所の方も
そばの商店街のおかみさんも、来ていただきました。。毎日、毎日、りんごや、いちごを、会社の行きかえりに
買ったりするのですよ。私はりんご太りになりました(笑い)
今でいう共稼ぎの家で、井口美津枝は、働く主婦のはしりのような人でした。寝たきりになったおばあさんの
介護も家でしながら、住み込みの会社の方の食事の世話と、いつ寝ていたのかと、今思うと不思議なほどです。
風邪ひとつひいたことがなく、元気な母でした。20歳で結婚して、7年ほど朝倉の秋月近くの数百年の農家で夫の
祖父母と暮らし、お米を作り、福岡市に祖父の死の後、家と山と墓だけ残し、引っ越して、今の会長と福岡市東区
の名島で海苔の工場を頑張り始めました。足腰の鍛え方が違うと、いつも思っておりました。
昨日の読売新聞に広告をだして、じゃんじゃん電話がなっているのに、母を偲んで、書いております。
涙目で、なかなか文章がまとまりませんが、これを最後にします。
おかあさん、ありがとう。 2021年12月02日
古いアルバムめくり、ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中、はげましてくれる人よ
晴れわたる日も、雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても おもかげ探し よみがえる日は涙そうそう
一番星に祈る それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみも 喜びにも おもうあの笑顔
あなたの場所から 私が
見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出 遠くあせても
さみしくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう
井口知子